母親の虐待を受けた私という娘が成長したときに取ってきた「自分を大事にする戦略」

母親に虐待されてきた経験から、母親と娘の中で、なるべく対立をしない方法を選んできた。

一般的にはあまり知られてない方法として、私独自のやり方だから、他にもやり方があるかもしれない。

まず、母親に女性らしくしなさいと言われても、女性のように振舞わないこと。

必要であれば、母親の前以外でおしゃれをすること。

なぜなら、女性同士だと同じ同性を敵だと認識してしまう可能性が高いから。

ところで、私は機能面を考えておしゃれに興味がないので、巷の女性のようにおしゃれを考えられる女性にはなれなかったので、オタク女子に変わったことは事実である笑

親が虐待の事実があると、精神年齢が女の子のまま育つ。その状態で女性らしくおしゃれに興味があるように振舞えば、親と対立する。おしゃれじゃないほうが、比較がなくて済む。

一緒におしゃれを楽しもうと言ってる女性友達が自分の方が目立ちたい時の心理に近い。

だからこういう女性を相手する時は敢て共感語よりもミラーリングと論理的にまとめるほうが落ち着かさせられる。

しかも、子供は、親にとって、前提条件が、若い、おしゃれをすると母親に似ている厄介な存在。母親が若い頃にできなかったおしゃれの実現が生まれる、これが厄介で、子供の成長を素直に喜べない親ほど自分のコンプレックスを刺激させる。

母親の中の女の子が親に愛されなかった代償を常に求め続けているからいい子を外で演じる、おしゃれも自分に注目を集めたいから、その理由で子供を見ると、一気に嫌悪感が生まれる。

自分の子供をライバルとするのは、たとえば、シンデレラコンプレックスは継母や兄弟がいじめるけど、シンデレラが実現できないほどの美女だから。

こんなに皮肉なことはない。

白雪姫コンプレックスは、継母が元妻に似ている若い女性がライバルに見えてしまう、だから、殺してしまいたいほど難くなるということもある。

女性の美は、男性から愛される象徴として受け止める人が多いように。

男性の美の場合は、私が見てきた世界ではないから、分からないとする。

子どもを育てる上で子供を愛でる時がでる母親は、敵対になりにくい、自分を受けいられるから。

しかし、子供を虐待する親ほど、自分に対して嫌いで仕方ない、子供を育てることで立派になろうとかするんだけど、子供が自分の分身だと気が付いたとき、いじめたくなる。自分を愛せないから子供も愛せない。

厄介なのが、子供が成熟していると親は、子供時代に得られなかった代償の親として子供に役割を求めているというめんどくさい心理条件が生まれている。大体の子供が親に愛されるようにいい子になろうとすると挫折するのはこの役割の反転の理由に気付きにくい、意識しにくい。

自分の親が子供を親として扱いたいなんて子供が受けいられる現実ではないから。

同時に自分の子供という分身が、理想の人間に近づいてるから、虐待を加害認識できない。

成長した姿そのものが成果に代わる。

だから、期待が外れると攻撃的になる。

ちなみに、成果とみなした子供を母親自身が親としてみるから、愛情を振り向いてほしいから、愛されなかった前の親よりも顕著に尽くしてくる・・・。ここで子供が自分をようやく愛してくれたと錯覚すると悲劇。

母親はいつまでも子どものまま、成長しない。

虐待はいつまでも続く。

しかし、老後の世話は子どもの責任とする。

子供が虐待の影響で精神疾患に掛かっても、DV被害に遭っても、母親は何もせず冷たく突き放したのに、3か月もすればのうのうと連絡をしてくる。

自分の世話を見よと、愚痴を聞けと。

そう娘は時に、自分の面倒を見てくれる都合のいい存在であり、同時に、虐待をさせた都合の悪い存在なのだ。

私はこの母親を良心の呵責が壊れてしまった人間なのだと思う。

こうした人間に深く関わらず、自分を大事にして守ることが生存戦略なのだ。

私は壊されてきたが、これ以上母親の支配下に入ることもなく、自分の人生を生きたい。