NAOMINA121

完璧な人間なんていない。限界はあっても、可能性に終わりはない。思考も終わらない。留めのない思考の置き場

Tears For Fearsの「Mad World」がやけに刺さる今日

70~80年代辺りの洋楽は、大体、私の好みである。

私はその年代に現役として聴いていた世代ではないが、その世代が共感した事実を若手の後輩が共感するという面白い現象が生まれている。

あの頃の歌詞はなんとも言い難いほど、歌詞に含みがある笑

時代背景を考えれば察しの如く。

そういう時代背景を置いても、人の心は痛みを覚えても表現しきれない形を音楽に変えてきたのだろう。

特に、Tears for Fears の “Mad World”は静かに破滅を歌っているのだが、結果的に、救われるわけではないのだが、聴いている側にはなんとも言えない不思議な瞬間が心の静けさとして居心地の良さに酔いしれてしまう魅力がある。

私が歌詞を考察して気づいたことがある。もちろんこれも一つの考察に過ぎない。 あの歌詞を読み解いていくと、自分に訪れた過去の悲劇を、理屈で再構築しようとした結果、世界は壊れていること(それがすなわち=Mad World :狂った世界)だと気付かされる。

感情を麻痺することでしか生き延びられなかった主人公の話だととするなら、やけに冷静さが見えてきた理由に辻褄があってしまう。

その証拠に、

「No expression, no expression」と、「Hide my head, I want to drown my sorrow 」=(頭を抱えるぐらいに悲しみに溺れたい=沈みたい、没頭したいというような意味合い)

という一節がある。

無表情、感情を失った声として、論理で感情を封じた人の声が悲しいほど切実に現れる瞬間が言葉の一節に見えてくるのである。

そして、同時に、次のフレーズで感情のフリーズは時が止まったことといえる

「No tomorrow, no tomorrow」=明日などない(=年齢が止まったまま先が進めない。子供の頃なんだ)

という歌詞の表現がある。感情がフリーズ(凍結)した状態では感情を感じる心の流れを進めさせることは出来ない。

「And I find it kind of funny I find it kind of sad 」(=そして残念で面白いことがわかった。)

と表現する次のフレーズは、

「The dreams in which I'm dying Are the best I've ever had 」(=僕が死ぬ夢が今まで見た中で一番良かった夢。)

と自分の存在がいなくなった世界は美しく回るように感じる。

ここで唯一感情が現れる。

論理が崩壊した瞬間、自分が消えたいと言う感情がここでようやく、SOSに結びついている。

一方で、「I find it hard to tell you, 'cause I find it hard to take」(=伝わるわけがない、(自分に起きたことが自分も他人にも)受け入れがたいごとだ)

と他人との距離を取っている冷静な自分もいる。

すなわち、防衛反応に育ちすぎた知性はやがて自分を蝕み、絶望を抱き、理屈は崩壊し、整合性が取れない中で感情に救いを求めていると言えよう。

感情を凍結した別の作品「TM NETWORK」の「Still Love Her」

実は、これ海外だけではなく小室哲哉の曲の中にも現れている。

シティハンターの有名な曲の中の一節でも現れている。

過去を繰り返し歌うことと、冬の日差しを特徴とした子供時代の風景を何度も場面描写として現れる。

  • 「時が止まったままの僕の心は二階建てのバスが追い越してゆく」→時が進んでない状態で現実は進んでいく描写
  • 「12月の星座が一番素敵だと、僕をドライブへと誘った」→過去の厳しい季節を何度も繰り返し呼び起こす
  • 「枯れ葉舞う北風は厳しさを増すけれど僕はここで生きていける」→永遠の冬と解釈する、年を越せない→時が止まったままのに繋がる

これらも、今の感情を受け止めきれずに、前へ進めない、すなわち感情が凍結した寒い状態が今も続いてる状態というアニメソングの歌詞としてはかなり異例(褒めている)として心に突き刺してくる。


これら音楽作品から見えるのは、安易の感動ストーリーでは消費しきれない痛みがあることを現実に突きつける。

取り返しのない痛みを抱えることほどの過去は、安易な感動ストーリーによっては解決できないが、

同時にそれを知っている人がいることは、何者にも耐え難い、救いとは言い切れないが、「存在の証明」に近づけるのではないのだろうか?