ディズニーは、「怒りの表現」の仕方が上手い。 一考察に過ぎないが、筆者は怒りの表現を教育レベルに落とし込んだ形だからこそ、取り入れたのではないかと考えさせられた。
あくまで、著者の一考察であるがその根拠を話して行こう。
子供にとって、最初に抱える不安は、この世界で安心して「感情」を表現することにあるように思える。
筆者にとっては、子供が大人の代わりになるのはもったいない年頃だと思うし、子供でいられる時代に楽しんでもらいたいと思う。(最も多くの子供、彼らは、あるいは彼女らは、純粋だから、大人になりたがっていることを知っている。)
だからこそ、反抗期が来ると、何が何でも嫌だとわめきまくり、親を困らしてくれるあの存在は、苛立ちを覚える人も多いだろう。誰しもが聖人にはなれない。もし仮に負の感情が出ていたとしても、それは、親にとって、一度は通る通過儀礼のようなものだ。
怒りは社会にとって迷惑か? 子育てから見る感情抑制技法
子育てをしながら、親が寛容性を身に着けられるかというと大多数の人は子育てに真剣だからこそ、余裕がなくなる事は少なくない。
親が「しっかりしなければいけない」という謎の呪縛に囚われていると、尚更、子供の教育に磨きがかかってしまうものだ。(特に初めての子育てなんて不安があって当たり前なのに、外部の評価に囚われすぎて、不安なことを不安といえず一人で抱え込む親も多いのではなかろうか。)
しかし、総じて、社会は厳しい。
それは我々、社会に生きる者にとって、否応なしに見てきた社会の結果とも言える。
これを読んだ読者の中には、こう言いたい人も少なからずいるかも知れない。
「平和な環境だってある。」
分かってはいる。それは筆者も理解出来る。
それを考えた上でも筆者が見てきた現実として、学生時代の頃から、受験戦争に追われ、社会人になれば業務成績に追われてきた現実がある。
多くの人は評価制度の中から抜け出せないまま育ってきた事実は隠しきれない。
その中で子供に豊かな子育てを提供できる人が果たして、どれぐらいいるだろうか。
ここでいう豊かな子育てとは、子供の成長を焦らず、一緒にみつめるという視点だ。
豊かな子育て自体は否定しない、だが、そうした子育てが出来ない親もいる。
どちらかが悪いという話ではない。
育ってきた環境の中で身についた生存戦略みたいなものだと筆者は思う。
余裕のない子育ては、やがて、形を変えて、社会の厳しさを知る親によっては、「社会性を身につけるため」あるいは「子供が大人の世界のルールに早く馴染んでもらうため」という表現に変わっていく。
実に、大人の都合ではあるが、それは最もわかりやすい形で生まれる。
「競争社会に子供を早くから馴染ませる」
「英才教育に勤しむ」
これらは、子供の自由意志より、親が経験してきた社会の残酷さを幼い我が子に味あわせないと必死になった結果から生まれたものではないのか?
同時にそうした懸念が別の懸念を引き寄せる。
子供の感情を置き去りになってないかということだ。
感情を抑制しないと子供の子育てがスムーズにできない、その為、早い内に聞き分けのいい子が必要となる。
そうなると邪魔なのは「怒り」を表現することそのものだ。
「怒り」を抑制することそのものが子育てとなると、弊害が生まれる。
抑圧された怒りが残ったまま、誰に対しても怒りを向けずに、成長してしまうことこそがが最も恐ろしい。
この場合の怒りは、感情を暴走させることではなく、怒り自体を封印するものだ。
ディズニーや教育向けの番組ほど、怒りを尊重するのはなぜか
限りなく、真実に近いことをいうと、子供は親がいないと生活が出来ない。
子供にとっては、親が命綱であり、全てなのだ。
私は、親がそういう子育てをするのかを問うために記事を出したわけではない。
正解がない答えに執着する必要が私にはないからだ。
では、なぜ、ディズニーや子供向けの番組で怒りの表現が大事なのかを考察してみた。
アナと雪の女王を見たことがある人の前提で話していく。(ネタバレはなるべくふせる)
アナと雪の女王では、閉じ込められた怒りの発散の向きが衝動性を生み決断を鈍らせるか、怒りが内向きへと向かい悲しみになり創作へと昇華していく、一見美しいあのシーンは、孤独の中でしか生きられないことを切実に訴えた怒りの方法なのだ。
「少しも寒くないわ」
と扉を締めるエルサのシーンは、まさに、怒りそのもの、圧巻だった。
一方アラジンの有名な「A Whole New World」では、立場が変わる。
アラジンがやっと自由を取り戻したが怒りが戻らない。
プリンセスに「美しい世界を見せてあげよう」というあのシーンは、プリンセスの気持ちを尊重する前に、「君は知らないよね、俺が見せてあげる」という上下関係が生まれていることに気付かされる。
人は怒りが生まれると、テンションがハイになる。
歌うタイミングの歌詞をよく見てみるとタイミングがズレている。
プリンセスは明らかにアラジンの行動に怒りを示し、アラジンは、自己陶酔しながらも失われた自由に対して怒りを覚えていると解釈すると物語の見方が増える。(もちろんこれは絶対的な見方ではないし、見る人の感受性を阻害するものではないことを置いておく。)
様々な作品には怒りが、どのように表現されているかを知れる教育レベルは子供向けに多い。
例えば有名な、アンパンマンは怒りを受け取り、その課題を解決しようとする。
「怒ってはならない」
ということを一切作品には出てこないのだから、子供教育は感慨深い。
最後に、怒りを封じ込めた子供が大人になるとどんな危険性が生まれるのか?
それを考えるのもまた一興である。